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ミュシャの最高傑作《スラヴ叙事詩》 ついに来日!(その5)

こんにちは、チェコの伝統藍染めヴィオルカです。

《スラヴ叙事詩》連作20点がチェコ国外で初めて公開された「ミュシャ展」、六本木の国立新美術館には、連日たくさんの人が訪れているようですね。

展覧会の人気ぶりからも、おそらくミュシャは、日本でもっとも愛されているヨーロッパの画家のひとりと言えるでしょう。現在まで途切れることなく数年に一度は展覧会が開かれ、毎回たくさんの人が訪れます。こんな画家たちは、ミュシャ以外には、数組を除いてはあまり思いつきません。なぜでしょう?と問われれば、日本人とミュシャの作品の間にある目に見えないけれど、深いつながりに答えを見つけることができるのではないでしょうか。つまりアール・ヌーヴォー様式への日本美術の影響が大きかったこと。ミュシャの線と面で構成されたグラフィックに見られる浮世絵版画の影響が、日本人の琴線に触れるのでしょう。

Alfons Mucha 1860 - 1939, Slav Epic

1 Slavs in Their Original Homeland 1912

Between the Turanian Whip and the Sword of the Goths

Egg tempera and oil on canvas, 610 x 810 cm, unsigned

National Gallery Prague, Jklamo 2011 commons.wikimedia

ですから、砂糖菓子のような甘く柔らかいグラフィックの色調に対して、突如あらわれた《スラヴ叙事詩》のほの暗い画面を見て、驚くかたもいらしたかと思います。しかし同時に、ミュシャの画家としての力量を目の当たりにされ、そして、なによりも今まで日本で親しまれていたミュシャは、実はパリ経由で日本に到達したチェコ人、ムハだったという認識が日本の方たちに広がる機会となり、日本人のムハ観にも変化が表れるに違いがありません。

ミュシャがこれほどまで世界中に知られ、日本においても有名になったのは、ミュシャの再発見に尽力したミュシャの息子イジー・ミュシャの献身的な活動によってであり、イジーは、また、日本ともとても深いつながりを持っていましたが、このお話はまたのちほど。

今日は、このへんで。続きをお楽しみに。

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