ミュシャの最高傑作《スラヴ叙事詩》 ついに来日!(その2)

2/23/2017

 

 

こんにちは、チェコの伝統藍染めヴィオルカです。

 

いよいよアルフォンス・ミュシャによる《スラヴ叙事詩》連作20点が公開されます。作品完成から今まで、全20点がチェコ国外に揃って貸し出しされるのは、初めてという、貴重な機会です。

 

すでに20点の全作品が、美術館に到着しています!現在、展示作業が粛々と行われています。

 

前回のブログ投稿に《スラヴ叙事詩》は、ミュシャが1911年から17年をかけて描いた作品と書きました。ミュシャは、すでに20世紀に入ってすぐに、作品の構想を持ち始めています。ただ、制作には莫大な資金が必要なため、しばらくは制作の夢を心に秘めているしかありませんでした。

 

その後、1906年にマリエ(マルシュカ)・ヒティロヴァーと結婚し、アメリカに渡ったことで、ミュシャの夢が実現に向けて動き出します。アメリカの実業家で大富豪の、チャールズ・リチャード・クレーンと知り合い、彼から資金援助を受ける約束を取り付けたのです。1909年のことです。ミュシャは、50歳になろうとしていました。

 

アメリカにいたミュシャは、すぐさまチェコに取って返し、ズビロフという場所にあるお城を借りて、制作をはじめます。そして完成した作品は、すべてプラハ市に寄贈されました。

 

The Czech painter Alfons Mucha at work on his Slav Epic 1920
Radio Praha, Rezonansowy 2013 commons.wikimedia

 

完成までの17年の間には、チェコスロヴァキア共和国の建国があり(1918年)、その建国10周年の際に、《スラヴ叙事詩》は、完成したばかりのプラハのヴェレトルジュニー・パラーツ(現在はプラハ・ナショナル・ギャラリーの近現代美術部門)で、公開されました。

 

ただし、その後の《スラヴ叙事詩》には、時代に翻弄される流転の運命が待ち受けていました。

 

ミュシャが亡くなったのは、1939年のことです。この年の春にミュシャはゲシュタポに逮捕され、厳しい尋問を受け、同年の7月に息を引き取ります。79歳でした。

 

1939年、ミュシャが亡くなる前に、チェコとモラヴィアはドイツの保護領となりました。《スラヴ叙事詩》は、ミュシャが作品に描いた思想を危険視していたナチスの手から逃れるため、1939年から1949年までプラハにあった倉庫にひそかに運ばれ、隠されました。その後の1950年には、ミュシャの生まれ故郷のイヴァンチツェに近い、モラフスキー・クルムロフ市にあるお城に運ばれて公開されていました。

 

1993年にチェコ共和国が独立すると、ミュシャの作品を再びプラハで公開するための議論が始まります。事態が大きく動くのは、2000年に入ってからです。2010年には、《スラヴ叙事詩》が国の文化財に指定され、2012年から再びプラハのヴェレトルジュニー・パラーツで公開されました。

 

壮大な構想と作品のスケールの大きさのため、時代に翻弄されたミュシャの《スラヴ叙事詩》ですが、実はチェコ帰国後に再公開される場所は、まだ決まっていません。現地では新しい展示施設の検討が続けられており、出来上がればまた大きな話題となることでしょう。

 

今日は、このへんで。続きをお楽しみに。

 

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