藍染めと私 4
プラハに暮らした4年の間に見つけた論文のテーマと、またその調査の際に発見した、チェコの民族芸術は、日本に帰国したあと、私が追いかけてゆくことになる大きなテーマになりました。「チェコのジャポニスム」をテーマにした修士論文を書き上げたあと、時間ができた私は、昔からの友人を訪ねて、上海
藍染めと私 3
彼女は、多くのチェコとフランスを結ぶ文化催事の開催にかかわっていました。特に1902年にプラハで行われたフランスの彫刻家、オーギュスト・ロダンの展覧会は、チェコの芸術家たちに大きなインパクトを与えたことで重要なものです。その時、ブラウネロヴァーは、アルフォンス・ミュシャとともに、
藍染めと私 2
今は、まったくの観光地となったプラハの旧市街広場も、私の住んでいた2000年前後頃は、チェコ風のホットドックを食べさせる簡素な店などもあり、まだまだチェコの市民生活とつながっている感じがありました。
私がヴォイチェフ・プレイシクという画家の版画作品を見たのは、その旧市街広場の「
藍染めと私 1
「ヴィオルカの小川さんは、チェコの藍染めと、どのように出会ったのですか?」と何人かの方から聞かれました。こんなことにも、興味を持ってくださるのだと驚きましたが、チェコの藍染めを知っていただくためには、お伝えするのも大切なことと考え、これから少し、私、小川里枝と藍染めの出会いについ