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藍染めと私 4

こんにちは、チェコの藍染めヴィオルカです。

プラハに暮らした4年の間に見つけた論文のテーマと、またその調査の際に発見した、チェコの民族芸術は、日本に帰国したあと、私が追いかけてゆくことになる大きなテーマになりました。

「チェコのジャポニスム」をテーマにした修士論文を書き上げたあと、時間ができた私は、昔からの友人を訪ねて、上海に遊びに出かけました。

そこで私は、すばらしい藍染めの布に出会います。印花布(いんかふ)といわれる、中国の藍染めです。

上海の観光地、豫園を見物して、老街をひやかしている途中で、手織りの木綿の布に、大胆な吉祥文様が染め抜かれた藍染めを売る店を偶然見つけました。蝶々や金魚、牡丹、鳳凰、唐子、蓮池、獅子、梅、竹等々のおめでたいモティーフが、布いっぱいにあらわされ、それがまるで中国の市井の人たちのおおらかさを写し取ったように感じられ、私は一瞬にして心を奪われてしまいました。

友人が心配するほど布を買い込んで帰国し、布をカーテンに仕立てたり、ソファの張り替えをしたりして、楽しんでいましたが、時間がたつにつれ、この布の成り立ちが知りたくなり、またいろいろと調べはじめます。

すると、中国印花布の専門店が、自由が丘にあるということがわかり、早速出掛けてみました。

そこで私は意外な事実を知ります。中国でも藍染めは、一時衰退していたものの、ある日本人女性の努力で、産業として復興した。その日本人女性が、自由が丘のお店でお目にかかった久保マサさんという方でした。

久保さんは、1970年代に印花布に出会い、日本に紹介をはじめるとともに、中国では、もう誰も顧みることのなくなっていた印花布の型紙や古布を中国全土を歩き回り、収集し、最終的には、上海に藍染めの博物館を設立しました。

いろいろなお話を聞かせてくださった後、久保さんが編集した印花布のカタログをくださいました。中国語と英語のバイリンガルの立派なカタログで、今でも私の宝物です。

広々とした座敷に、藍染め印花布と清の時代の磁器を組み合わせた、古風な、そしてゆったりとした雰囲気を持っていたこのお店は、もうありません。数年前に久保さんはお亡くなりになり、お店もしまわれてしまいました。

しかし、その久保さんとの出会いが、私にあのプラハの仕立て屋さんのウィンドウで出会った、青い可憐な布を思い出させたのです。

今から数年前、私はいろいろなつてをたよって、チェコの藍染め工房を探し当てました。そして、チェコの藍染め、特にそのプリントパターンは、自然とともにあったチェコ人のライフスタイルから発生し、長い年月をかけて淘汰され、すぐれた、現代にも十分通用する高いデザイン性のあるものに昇華されていることを知ります。

ヨフ工房のヨフさんは、日本の人間国宝にあたる「民族工芸伝統保持者」という称号を、2004年、チェコ共和国文化省から授与されていました。一方で、チェコの藍染めは、大量消費の風潮から取り残され、存続が大きな問題であることは、私にも察することができました。

そして2011年の3月に起こった未曾有の大災害も私の背中を押しました。わたしにしか出来ないことをしてみようと。人口が約1000万人のチェコのマーケットに比べ、日本の人口はその約10倍、日本人にチェコの藍染めを見てもらおう。自然を愛し、どの国の手仕事も正当に評価し、大切にする、そして現在も、和洋折衷のライフスタイルをもつ日本人に、きっとチェコの藍染めは受け入れられるはずだ。ヨーロッパとはまったく違う文化背景をもつ日本人の私には、チェコ人にはできない、日本人に向けての藍染めのプレゼンテーションがきっとできるはずだ。半ば思いこみですが、私はこう思い立ったのです。

そして最終的には、昔の日本人が、あまりに身近すぎて気付かなかった浮世絵の芸術性を、ヨーロッパで評価されたのちに、認めたように、チェコの藍染めの価値を日本のデザインによって引き出し、チェコの人たちにも、藍染めを再発見してもらえたらと考えます。実現は容易ではないと思いますが、このことを理想として、持ち続けてゆきたいと思っています。

長きにわたってお読みいただきありがとうございました。これからもヴィオルカはチェコとチェコの藍染めにまつわる様々な話題をお届けしたいと思っています。

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