ミュシャの最高傑作《スラヴ叙事詩》 ついに来日!(その6)
ポスターのデザインは、女性を中心に置いたまさにミュシャ様式ですが、描かれているのは、民族衣装を身に着けた少女で、ゆったりとしたブラウスに、色とりどりの刺しゅうを施し、裾にレースをつけた美しいスカートをつけ、頭には「トルコ風の布」と呼ばれる赤いスカーフを巻き、鳥の歌声(合唱団の歌声
吉村晴子さんとの出会い
板締めという技法はたいへん古く、版木や型紙によって生地に防染剤をのせて色を染め分ける方法とは異なり、文様が刻み込んである版木で生地をきつく挟み、そこに染料を直接掛けまわし、生地の色を染め分けるというものです。この技法はの中心地は京都で、そこで特権的に染められていたが、明治維新後、
ミュシャの最高傑作《スラヴ叙事詩》 ついに来日!(その5)
展覧会の人気ぶりからも、おそらくミュシャは、日本でもっとも愛されているヨーロッパの画家のひとりと言えるでしょう。現在まで途切れることなく数年に一度は展覧会が開かれ、毎回たくさんの人が訪れます。こんな画家たちは、ミュシャ以外には、数組を除いてはあまり思いつきません。なぜでしょう?と
ミュシャの最高傑作《スラヴ叙事詩》 ついに来日!(その4)
会場に入ってまず感じたのは、展示室の明るさです。プラハ展では、作品の設置してある壁が無機質な灰色であったことと、天井からの光が少ないため全体的に暗く、《スラヴ叙事詩》のモニュメント性が強く感じられる、力強い、堂々たる展示だったことに対し、東京展では、背景の壁の色が同じ灰色でも、少
ミュシャの最高傑作《スラヴ叙事詩》 ついに来日!(その3)
ミュシャは、1860年、モラヴィアのイヴァンチツェで生まれました。ミュシャの芸術家としての素地は母のアマーリエ譲りかもしれません。ウィーンの上流家庭で家庭教師をしていたアマーリエは、芸術への関心も深く、物腰の軟らかい女性でした。それに反して、ミュシャの父オンドジェイは、武骨な男や