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藍染めと私 1

こんにちは、チェコの藍染めヴィオルカです。

三省堂本店神保町いちのいち催事(5月12~18日)では、皆さんにお会いできて、そして藍染めのお話をいろいろすることができて、本当にうれしかったです。

その時に、「ヴィオルカの小川さんは、チェコの藍染めと、どのように出会ったのですか?」と何人かの方から聞かれました。

こんなことにも、興味を持ってくださるのだと驚きましたが、チェコの藍染めを知っていただくためには、お伝えするのも大切なことと考え、これから少し、私と藍染めの出会いについて、何回かにわたって、お話したいと思います。少し長くなりますが、よかったらお付き合いくださいませ。

私は、プラハに4年間滞在しました。そもそもチェコと出会ったのは、「ボヘミアガラスの100年」展という展覧会を高崎市美術館の学芸員として担当したことがきっかけです。

この時は、高崎市の姉妹都市だったチェコのプルゼニュ市にある西ボヘミア博物館から、アールヌーヴォー様式とアールデコ様式のガラス工芸、そしてチェコ北部リベレツ市にある北ボヘミア博物館からは、戦後の現代ガラス作家の作品を、合計で100点以上お借りし、展覧会を組み立てるという、地方都市の美術館が単館で行う展覧会としては、とても大きなプロジェクトにかかわりました。

私は、主にカタログの編集や翻訳、展示を担当し、その時、実際のガラス工芸作品をまぢかに見たこと、そしてチェコのそれぞれの博物館のキュレーターの方が、カタログに寄稿くださったテキストを通して、チェコのガラス工芸や、その歴史にとどまらず、チェコの装飾美術館の成り立ちについて、くわしい知識を得ました。

チェコのガラス工芸は、すでにバロック時代には、ヨーロッパ中の貴族に愛用されていました。その後の19世紀にも、チェコのガラス産業は、引き続きその大きなマーケットを背景に、すばらしいデザインの製品を製造し、また恵まれた教育制度や国の後押しにより、戦後は、次々とすぐれたガラス作家たちを輩出してきたのです。

また、はじめてチェコに行き、チェコのガラス作家のスタジオを訪れ、キュレーターの方たちと一緒に働くことで、チェコとチェコの方々と、とても親しく触れあうことができました。これは本当に得難い体験でした。

この体験が、私にチェコ語を習わせるきっかけになったのかもしれません。プラハに住み始めてすぐに、カレル大学付属の語学学校で、チェコ語を学び始め、そしてカレル大学哲学部ボヘミア学科のチェコ学コースに進みます。

毎日、自分の理解を超えた難しいチェコ語の文法と格闘しながら、しばらくは過ごします(毎日、毎日、苦しい思いをしていた私を励ましてくれたのは、岩波ホールの支配人をされていた故高野悦子さんの新聞連載でした。彼女は映画監督を目指し、フランスのフィルムアカデミーに留学し、苦労してフランス語を学び、学位をとられました)。

でも、プラハでは、見るものすべてが美しく、楽しい、充実した時間を過ごしました。そんな時、忘れもしない、プラハの旧市街広場にあった小さなギャラリーで、19世紀末から活躍したヴォイチェフ・プレイシクという画家で、グラフィック作家の版画作品を見て、とても大きな衝撃を受けました。

つづく

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