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ミュシャの最高傑作《スラヴ叙事詩》 ついに来日!(その4)

こんにちは、チェコの伝統藍染めヴィオルカです。

いよいよアルフォンス・ミュシャ(ムハ)による《スラヴ叙事詩》連作20点が公開されました。作品完成から今まで、全20点がチェコ国外に揃って貸し出しされるのは、初めてという、貴重な機会で、開会式、初日とたくさんの方が訪れていました。

プレス内覧会の様子 2017年3月7日

ヴィオルカは、プレス向け内覧会と開会式に伴う内覧会にて、一足早く会場を見ることができました。

開会式の様子 2017年3月7日

会場に入ってまず感じたのは、展示室の明るさです。プラハ展では、作品の設置してある壁が無機質な灰色であったことと、天井からの光が少ないため全体的に暗く、《スラヴ叙事詩》のモニュメント性が強く感じられる、力強い、堂々たる展示だったことに対し、東京展では、背景の壁の色が同じ灰色でも、少し赤みを帯びた灰色(写真に撮るとほとんど紫に見えるような柔らかなトーン)で統一されていること、そして天井からの軟らかい光が、全体的に展示室を照らしていることとで、それぞれの作品の大変美しいマチエール(絵画表面の肌合い)がクローズアップされることになり、ミュシャの技量を十分に見て取ることができるよう展示されていることが印象的でした。

それぞれの作品のマチエールは、絵の具の層が薄く、薄く重ねてあることがわかる、なめらかなもので、本当にうっとりします。

そして、展示室の天井もまるで《スラヴ叙事詩》のためにあつらえたような高さで、それぞれの壁に居心地よく収まり、「これからたくさんの皆さんに会えることを楽しみにしているよ」とでも言っているようで、本当に素晴らしい展示になっています。展示作業に関わったチェコの修復家の方たちも、この美術館は、《スラヴ叙事詩》のために設計したのでは?などと言っていたというくらい一部の隙もないほどの見事な展示でした。これも、このような展示を作り上げたそれぞれのプロフェッショナルの方々のお仕事あってのことでしょう。パーテーションが最小限にされているようで、作品が次々に現れるように感じられるのもよかったです。

ヴィオルカは、開会式に出席されたプラハ市美術館の館長さんの通訳として同行したので、いろいろなお話を聞くことができました。その時に印象に残った事柄のうち、素材技法に関する事柄をいくつか書き留めておきます。

キャンバス:作品の支持体であるキャンバスは、ベルギーで製造されていたもので、ミュシャが特注した帆布。ミュシャはとにかく巨大な作品を物理的に支えることのできる強靭なキャンバスを探したとのこと。第一次大戦中には、材料の供給が困難になり、以後制作された作品は、サイズが小さくなっている。1913年に出資者のクレーンさんと交わされたには、6x8mの作品とさらにそれ以上の大きさの作品を作ることが約束されていたんですが、残念ながらそれは実現できなかったんです。

卵テンペラ:ミュシャは、絵の具も顔料と卵を混ぜ合わせ、自ら調合したそうです。卵テンペラ、たとえば有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」などもこの技法で描かれていますが、ルネサンス時代などでは、特に大きな壁画や祭壇画など、工房の親方が仕切って、徒弟たちが描いてゆくという仕事を、ミュシャは一人ですべてこなしていたということを考えてみると、本当にとてつもない仕事をした人だなと思います。大人数で取り組むことがなかったため、16年という時間がかかったわけなんですが。ミュシャは、毎日12時間、梯子にのって作業をし続けていため、息子のイジーさんは、子供のころ、お父さんと言えば、梯子の上にいる人で、相談事でもなんでもいつも上を向いて話していたと言っていたそうです(笑)

今日は、このへんで。今後もミュシャについていろいろなことを書き綴っておこうと思います。続きをお楽しみに。

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