

プラハ装飾美術館 リニューアル
ちょうど1年前の9月、リニューアル直後の建物を見学できました。私が装飾美術館の図書室に通い始めたのが、1998年くらいからだったと思いますが、その時にはおそらく収蔵品でいっぱいになっていて、公開されていなかった上階部分も見ることができるようになっていました。これで来館者も建築当時


ミュシャの最高傑作《スラヴ叙事詩》 ついに来日!(その10)
この作品のメイン・モティーフは、聖母マリアですが、その衣装や多くの装飾パターンはミュシャにとって、とても身近なものだったと指摘されています。そして何よりも聖母マリアの姿は、ミュシャが子供のころ、母に連れられて行った巡礼地で手に入れることができたというマドンナの像そのものであり、そ


ミュシャの最高傑作《スラヴ叙事詩》 ついに来日!(その9)イヴァンチツェの想い出
ヴィオルカは、かなり前になりますが、実際にミュシャの生まれ故郷、イヴァンチツェを訪れたことがあります。そこでは、本当に偶然にもイヴァンチツェの市長さん自ら市庁舎を案内してくださり、ミュシャに関するいろいろなお話を聴くことができました。当時まだ建設途中だった市庁舎横にあるミュシャの


ミュシャの最高傑作《スラヴ叙事詩》 ついに来日!(その8)
1963年、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館で大規模なミュシャの回顧展が開催され、そのあとは、ヨーロッパ各地、アメリカ、そして日本でもミュシャの展覧会が開催されてきました。1980年、パリの19世紀美術専門の美術館、オルセー美術館にイジーが自身のコレクションの一部


ミュシャの最高傑作《スラヴ叙事詩》 ついに来日!(その7)
今日は、《スラヴ叙事詩》を描く前のミュシャに焦点を当ててみたいと思います。パリで一夜にして売れっ子デザイナーになった時にも、ミュシャ自身は、スラヴ民族の一員であるということを忘れたことはありませんでした。


ミュシャの最高傑作《スラヴ叙事詩》 ついに来日!(その6)
ポスターのデザインは、女性を中心に置いたまさにミュシャ様式ですが、描かれているのは、民族衣装を身に着けた少女で、ゆったりとしたブラウスに、色とりどりの刺しゅうを施し、裾にレースをつけた美しいスカートをつけ、頭には「トルコ風の布」と呼ばれる赤いスカーフを巻き、鳥の歌声(合唱団の歌声


ミュシャの最高傑作《スラヴ叙事詩》 ついに来日!(その5)
展覧会の人気ぶりからも、おそらくミュシャは、日本でもっとも愛されているヨーロッパの画家のひとりと言えるでしょう。現在まで途切れることなく数年に一度は展覧会が開かれ、毎回たくさんの人が訪れます。こんな画家たちは、ミュシャ以外には、数組を除いてはあまり思いつきません。なぜでしょう?と


ミュシャの最高傑作《スラヴ叙事詩》 ついに来日!(その4)
会場に入ってまず感じたのは、展示室の明るさです。プラハ展では、作品の設置してある壁が無機質な灰色であったことと、天井からの光が少ないため全体的に暗く、《スラヴ叙事詩》のモニュメント性が強く感じられる、力強い、堂々たる展示だったことに対し、東京展では、背景の壁の色が同じ灰色でも、少


ミュシャの最高傑作《スラヴ叙事詩》 ついに来日!(その3)
ミュシャは、1860年、モラヴィアのイヴァンチツェで生まれました。ミュシャの芸術家としての素地は母のアマーリエ譲りかもしれません。ウィーンの上流家庭で家庭教師をしていたアマーリエは、芸術への関心も深く、物腰の軟らかい女性でした。それに反して、ミュシャの父オンドジェイは、武骨な男や


ミュシャの最高傑作《スラヴ叙事詩》 ついに来日!(その2)
いよいよアルフォンス・ミュシャによる《スラヴ叙事詩》連作20点が公開されます。作品完成から今まで、全20点がチェコ国外に揃って貸し出しされるのは、初めてという、貴重な機会です。すでに20点の全作品が、美術館に到着しています!現在、展示作業が粛々と行われています。前回のブログ投稿に